2010年01月16日

ハイチ地震レポートNo.4

メキシコのクワテモックさんから情報です(1/14 1:00、日本時間1/14 18:00のメールより)。
このレポートから被災地の過酷な状況が垣間見る事が出来ます。

ハイチは死亡した国民について涙を流し、世界はハイチ国民とともに泣いています。地震の被害は、これまで想像できたものをはるかに越えています。ポルトープランスは混沌としています。電気がなく、飲み水がありません。大型トラックは救急車になり、ドアは担架として使われ、ハイチ人は瓦礫の下に閉じ込められた人々の命を救おうと素手やハンマーを使って頑張っています。崩壊したビルから食物を運び出す人々が見られるなど、略奪が始まった。道路はどこでもキャンプのようです。

今の優先事項は生き残った人を探し、助けること、野営病院を建てること、食物や水を配布することです。ルネ・プレバル首相は、「何千人もの人々が亡くなっており、国際社会に救援を求めています」という。少しずつ状況がわかってきています。ビルが倒壊しました。財務省、公共事業省、高等普通学校、通信文化省、司法公邸、国立経営大学、フランコフォニー大学機構(AUF)のカリブ海地域事務所、国会議事堂、大聖堂、クリストファーホテルにある国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)の本部、世界銀行やシティバンクの事務所、国家宮殿もまた
深刻な被害を受けました。
通信はまだひどく断絶しています。
その上、全ての病院は破壊されたか、深刻な被害を受けました。

死亡者の中には、ハイチ人ヒップホップアーティストのジミー・オー・バンクトもいました。国連の建物の中にいた全ての人員はミッション長のHeidi Annabiを含め、死亡したと思われます。少なくとも25人の国連平和維持軍が亡くなり、23人が行方不明になっています。ブラジル人小児科医のZilde Arns、3人のカナダ人市民、George Aglandelaと彼の妻Mireille、医療使節団のオンタリオ州のYvonne Martin、2人のドミニカ人のエンジニアとあと10人が行方不明だと報告されており、他にも大勢、大勢の人が亡くなり、行方不明です。

世界はハイチの呼びかけに応え始めています。そして、世界中人々がハイチで苦しんでいる人たちを気遣っていて彼らのために何かしようとしています。
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2010年01月15日

ハイチ地震レポートNo.3

前回のNO2でもお伝えしたようにCODEの海外研究員 クワテモックさん
(Cuauhtmoc Abarca メキシコ在住)が1月20日〜30日の予定で現地入りします。現在、首都ポルトープランス国際空港は救援機のみで商用機での入国は難しいようで隣国ドミニカからの陸路も考えていますが、メキシコにおいて渡航準備と情報収集に奔走されています。情報が入り次第、逐次お伝えします。

以下は、クワテモックさんからの情報です(1/13 12:30、日本時間1/14 5:30のメールより)。

現地国連職員の話によると、約600万人の住民が地震に遭い、少なくとも350万人が被災しています。
国政の中心地は深刻な被害を受けましたが、メキシコ在住のハイチ大使によると大統領と夫人は生存しているとのことです。
Au Prince港の中心は破壊され、何千もの建物が倒れました。その建物は、国連本部、大聖堂、行政の国立校、経済省、フランコフォニー(Francophony)大学、政府の建物、そして学校、病院とたくさんの家々です。
大司教のサージ・ミオット氏(Mr. Serge Miot)、国連職員や平和部隊(Peace Corps)からの国連の兵士、そして多くの市民と家族が亡くなりました。
行方不明者には、カトリック教会のチャールズ・ベノイット神父(Mr. Charles Benoit)、国連職員、大使、そしてたくさんの人々がいます。

このようにハイチにおける政治的な機能も麻痺し、国民の95%を占めるクリスチャンの被災者の方々にとっての精神的よりどころである大聖堂も被害を受け、大司教も亡くなったようです。被災された方々の物質的、精神的な支援が求められます。(事務局)
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2010年01月14日

ハイチ地震レポートNo.2

CODE海外研究員 MR,クワテモック(メキシコ在住)がハイチへ出発準備!

 時間の経過と共に、ハイチ地震による甚大な被害状況が具体的になり、心が痛みます。ハイチの首都を襲い、都市機能に壊滅的なダメージを与えた今回の地震ですが、一刻も早く被災者の不安が取り除かれるように、被災地関係者のリーダーは対応して頂きたいと願うばかりです。

 2001年にインド西部地震が発生したき、被害を受けたのは西部グジャラート州における半径300キロメートルにもおよぶ被害となりましたが、少し客観的に考えるとあの広いインドの国でグジャラート州以外の州は被害を受けていません。海外からの援助が充分に満たされるまでは、同じ被災国内での最低限の助け合い、支えあいは可能です。

 とは言え、今回ようなハイチ地震では、首都が壊滅的になるということは想像を絶するものがありますが、被災の軽微な周辺地域推定200万人からの最低限のボランタリーな支えあい、助けあいという活動がわき上がれば、被災者の多くはとりあえずの安心感を持たれるはずです。国のリーダーは、そのように国上げての、国民レベルでの「共助」を訴える必要があるでしょう。

 ところで無惨な倒壊家屋の映像は、地震後によくみる光景です。”後の祭り”だが建物に少しでも耐震の工夫があればこれほどまでの被害に及ばなかったのではないかと残念でならない。日本はじめ、これまでの経験から直ちにハイチの文化・伝統を尊重した上での住まいの耐震技術を伝えることが急がれます。
 そのためにも阪神・淡路大震災を経験した私たちは、まず耐震技術の伝搬を意識しなければならないでしょう。

 さて、ハイチに向けての出発準備に入ったクワテモックさんの経歴は以下に紹介していますが、1985年のメキシコ地震以来、NGOとして被災地の復興に尽力してきた方で、今も被災地における子どものケアー活動を主に展開しています。これまでにもCODEとのコラボでアルジェリア、エルサルバドルなどの災害被災地に行って貰いました。彼は、メキシコでの経験があるので、被災地に入っても支援の届きにくい地域、支援の届きにくい人たちにまず寄り添い、何が必要なのかを適切に提案して来られます。例えば9年前の昨日1月13日、エルサルバ
ドルで地震災害があったのですが、このときは再貧困被災生活者協同組合の立ち上げを手伝い支援を提案して来られました。とりあえず、クワテモックからの現地情報を待ちたいと思います。

クワテモック(Cuauhtmoc Abarca)

1985年9月メキシコで起きた地震以来活動しているNGO「メキシコ・トラテルロコ地区住民連絡会」の事務局長。1986年のエルサルバドル地震の時も現地に行き、「エルサルバドル地震被災者全国組合」(UNADES)の結成を支援した。

クワテモックとの協働
1996年6月の国連人間居住会議(ハビタットU)で出会う
1997年12月、フォーラム招聘のため村井・田村がメキシコ訪問
1998年1月の"市民とNGOの「防災」国際フォーラム"にパネリストとして来日
1999年8月のトルコ地震救援活動では第二陣として同行
2001年1月のエルサルバドル地震で派遣、現地NGOのプロジェクトを支援。
2002年10月のメキシコ・ハリケーンでユカタン半島に派遣、養蜂業者支援を実施
2003年5月のアルジェリア地震で現地派遣、子ども支援を実施
2005年1月のCODEシンポジウム「震災10年と市民社会」にパネリストとして来日
2004年12月のスマトラ沖地震・津波の被災地を視察し、神戸に立ち寄る
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現地よりレポート

 おはようございます。事務局長の村井です。
 ハイチ地震に関してですが、一夜明けると残念ながら甚大な被害となることが明らかになりつつあります。NGOはじめ各国の救援が開始されていますが、亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、これ以上被害が拡大しないことを願うばかりです。

 すでに昨日からメキシコ在住のCODE海外研究員クワテモックからの情報および昨年4月からエルサルバドルで防災教育の普及に取り組んでいるKさんからの情報(第1報)を下記に添付しておきます。ご参考にして下さい。

(クワテモックより)
 ハイチの地震についてですが、これは昨日発生しました。火曜日、現地時間午後4時53分であり、通常の勤務時間帯であるため多くの建物に人がいる状態でした。震源は首都ポルトープランスの南東15(キロ?)です。震央まではわずか8kmでした。いくつかの情報によ
ればマグニチュードは7〜7.3です。
 ともかく、この地震はアメリカ大陸の最も貧しい国または世界で最も貧しい国の一つを直撃し、災害と混沌をもたらしました。余震が続いており、マグニチュードは5.1、5.5、5.9あたりが多いです。大雑把に見積もって、地震で300万人が被災しました。(国の全人口は900万人です。)過去200年のハイチの歴史の中で最も大きな地震です。掘っ立て小屋から国の宮殿に至るまで、地震で倒れました。埃はポルトープランス内や周辺にあふれています。何千人もの人々が公共の広場に集まり、聖歌を歌い、泣いています。
 壊れた建物には、Petionvilleの病院、国連の建物、Montanaホテル、そして各地の何千もの家々や小さな建物があります。多くの建物は地震発生時に人が居ました。
 ニュースは二次情報が多く、多くの場所で停電、固定電話及び携帯電話の不通、インターネット利用不能となっています。空港でさえ、地震の影響で閉鎖されました。病院では犠牲者をさばききれていません。まだ平静は取り戻せていませんが、皆、これはハイチの大惨事であると理解しており、またカトリック救援サービスの職員は瓦礫の中にまだ「何千人もの死者」がいると確信しています。通りのあちこちに死者や怪我人が横たわっています。
 私はハイチに何人かの友人が居ますが、今のところ連絡が取れません。何時間か後には通信が回復し、状況が確かめられることを願っています。おそらく、我々が把握しているよりももっとひどい状況でしょう。新たな情報を得たら、すぐにあなたにお知らせします。

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(Kさんより)
 小さいですがハイチ地震の新聞の画像と、一部ですがこの新聞記事の訳を送ります。

国際ニュース:ハイチ地震
マグニチュード7.3の地震、余震も続き、大災害となる恐れ。
死者の数はまだ出ていない。
カリブ地域の歴史においても非常に強いこの地震は、昨日のハイチを大きく揺さ振った。
当局の情報では、倒壊した病院で助けを叫ぶ人もいるという。
各地から来ている援助機関の関係者は「これは完全な災害と混乱(カオス)である」と述べている。
情報の伝達手段はほぼ切れており、この地震の被害、貧しい地域や建物の脆弱な地域の状況を知ることは難しい。
多くの場所で電力の供給がなかった。
マリーランドにある団体の職員は「わかっているのは大災害だということです。多くの粉塵がプエルトプリンシペを取り巻いていた」と述べている。
速報として死者、被災者の数は表れてきていなかった。
本震の後にも強烈な揺れを感じられた。
マグニチュードは7.3で震央はプエルトプリンシペから15キロ西にあたり、深さは8キロとアメリカの地質関係の機関は発表している。
「全てが驚きと恐怖である」と現地を訪れたアメリカの農業機関関係者は述べている。
「空が灰色の粉塵にかえったようだ」


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ハイチ地震救援開始

「CODE海外災害援助市民センターは、1月12日夕刻発生した「ハイチ地震」における被災地および被災者に対する救援活動を開始します。具体的には、関係者の現地派遣を追求すると共に、直ちに募金活動を開始します。」                                         

阪神・淡路大震災から15年を前にして、大変悲しいニュースとなりました。ハイチ地震の被災者は300万人を超え、すでにハイチ共和国大統領は、「数千の死者になるだろう」と発表しているが、一部ニュースでは死者10万人を超えるとも報じられ、地震災害では今世紀最大の被害となる可能性がでてきています。これ以上被害が拡大しないことを祈るばかりです。
 
 阪神・淡路大震災をきっかけに翌1996年にであったメキシコのクワテモックさん(CODE海外研究員)から、13日早速第1報が入り、ハイチ在住の彼の知人・友人とも安否確認が取れず心配をされています。また、昨年4月からエルサルバドルで防災教育の活動をしているKさんが送信してくれた新聞情報では、「水曜の朝、200万人が住む首都を複数の揺れが襲った」「国会、税務署、学校、病院も倒壊してしまった。」「粉塵の中を女性たちが泣きながら瓦礫の中から這い出す」「住民たちは呆然としながら手を取り合っていた」「広場では1000を超える人々が賛美歌を唱っている」などと報じているようです。

日本の赤十字はじめアメリカやカナダ、メキシコ、ドミニカ共和国、中国など各国の救助チームも現地に向い、もうまもなく到着するような現状です。

 CODEとしては、メキシコ在住の海外研究員クワテモックに現地入りを打診しています。また、引き続き複数の情報源より可能な限り被災地の状況が判る情報を集めたいと思います。

振込口座:郵便振替 00930-0-330579
      加入者名 CODE
     *通信欄に「ハイチ」と明記して下さい。
なお、皆さまから寄せられたご寄付の15%をCODEの管理運営費に使わせ
て頂きます。
                  CODE事務局長 村井雅清

<以下基礎データ>
ハイチ大地震
発生時間:2010年1月12日午後4時53分(日本時間13日午前6時53分)
震  央:首都ポルトープランス(PORT-AU-PRINCE)より南西に15kmの
     プエルトプリンシペ
規  模:M7.0 深さ10km
余震 M5.9とM5.5、その後もM5以上の余震6回、M4以上28回
津波の心配なし
死 者:数万人〜10万人超
(日本時間14日8:10 AFP通信  ハイチ首相が米CNNに発表)
負傷者:多数
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