2010年02月19日

ハイチ地震レポートNo.33

昨日のクワテモックさんのメールの続きです。

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このような状況の中、ハイチで暮らすことは容易ではありません。どこに行っても破壊と痛みだらけです。しかし、復旧活動に励んでいる人々の姿もまた感じさせるものがあります。ハイチの人々は、ここで働いている海外の団体に対してとても感謝されています。

2人の子どもを亡くされた女性が私にこう言いました「地震は私たちに大きな不名誉と痛みをもたらしました……しかし、良いこともあります。あなたがここに来てくれたことです!」
小さな女の子が言いました「ここに来てくれてありがとう。今日天使に会えて、ずいぶん元気になりました。あなたに会えて良かった!」
子どもが言いました「私の周りにあるもの全てを誰かが全てを黒く塗りつぶしたような気持ちでした。全て真っ暗でした。でも、あなたは私の暮らしに色を取り戻してくれたのです」

そう、ここには痛みがあります。復興は長い長い道のりですが、CODEのおかげで、そして全てのNGOのおかげで、日本の方々のおかげで、ハイチと一緒に活動している世界中の皆のおかげで、今、希望が戻ってきているのです。

この絆を強めていきましょう。それが良い効果を生むのです。絆が魂を癒し、希望をもたらしてくれます。結束した活動は、他者への、そして自分自身への愛の表現となります。絆を大切にし続けましょう。
クワテモック
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2010年02月18日

ハイチ地震レポートNo.32

レポートNo.30で地震後1ヶ月の様子をお伝えしましたが、クワテモックさんよりその詳細が届きましたのでご紹介します。

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2月12日のメールでお伝えした通り、地震から1ヶ月の追悼記念日を迎えました。政府は金曜、土曜、日曜と3日間を国家敵な追悼の日としました。

従って午前中、私はプチ・リビエラ(Petit Riviere)と呼ばれるコミュニティにモバイルクリニックを設置しに行きました。数メートル離れた場所で治療が行われている間、地域の人達は地元の教会(教会の残骸というべきか)に集まり、祈ったり賛美歌を歌ったりしていました。どこに行っても皆同じようにしている様はとても感動的でした。早朝6時に、隣の養護施設の修道女が歌い始めました。近隣のキャンプでも歌が始まりました。どこも感動的な雰囲気で、人々は祈り、愛する人を偲んで泣き、歌い、互いに支え合っていました。何か信じられないような気持ちになり、たいへん興奮しました。

午後にはコロンビア赤十字にいる私の友人が訪ねてきて、子ども達に物資を届けてくれました。そこで私は彼らを町にある3つの孤児院に案内しました。最初の孤児院では、子ども達は笑顔で迎えてくれました。次の孤児院に行くと、子ども達は中庭に集まっており、自分たちの体験を語り合ったり、歌ったり遊んだりするセッションを行っていました。車椅子に乗った6歳の女の子が前に出てくると、皆素晴らしい歌を歌い始めました。その女の子が生き続けるのを励ます歌なのです。なんて感動的なのでしょう!

最後に3つめの孤児院に行きました。ここは女の子の孤児院です。私たちが積み荷を下ろしていると、突然、女の子達が全員、フランス語で美しい歌を歌い始めました。歌はこんな意味のようです。「ありがとう、ありがとう、私たちを支援してくれてありがとう。太陽の光で私たちを照らしてくれてありがとう。生きる希望を取り戻させてくれてありがとう。暮らしに喜びをもたらしてくれてありがとう……」言い表せないほど心を揺さぶる光景で、コロンビア赤十字の友達も、私も涙が止まりませんでした。

胸がいっぱいになったまま、私はキャンプに戻りました。本当に特別な日でした。言葉でこの感情を全て表すことは難しいですが、挑戦しています。

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(写真上:左から2人目がクワテモックさん)



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2010年02月17日

ハイチ地震レポートNo.31

通信事情が悪い中、クワテモックさんからレポートが届いています。今までの内容と重なるところもありますが、ご了承下さい。

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 以前にあなたにお伝えしたとおり、ハイチにきている援助のほとんどはポルトープランスで止まってしまって、他の地域にはほとんど助けが来ていないので、私はレオガンの地域を選びました。それに加えて、ここは地震の震源地の地域です。ここでは80から90%が破壊されています。それに、レオガンの周りには、いくつもの農村地域や、半農村地域があります。これらの地域では救援活動はもっと少なくて、わずかな援助しか届いていません。現在までに、何団体かの大小のNGOがやっとこの地域に到達しました。これはよいことです。

前にも伝えましたが、私はAyuda a Haiti(ハイチへの支援)と呼ばれているキャンプに拠を構えています。このキャンプは、ドミニカのNGOのネットワークによって設立されました。彼らは地震の2日後から治療を行っています。これは彼らが(ハイチの)一番近い隣国であり、ハイチと島を分けているからです。なので彼らは、空港がアメリカに占領されていても、陸路で一番に到着することができたのです。私は、救援活動に来た他の大勢の大勢の人々と同じように、ドミニカ共和国を通してハイチに入りました。

これまでに、私たちは12のコミュニティの中で働いてきていて、1万人以上の人に到達しています。私はレオガンの周辺のコミュニティで連日のように活動しています。私の存在はここではとてもとても大きな助けになっています。なぜならば、キャンプを運営している人々は、全ての人が善意で来ていて、懸命に手助けをしようと来ているのですが、過去に救援活動に携わった経験を持たない人々だからです。キャンプのリーダーは、Rafael Tavaresと呼ばれている、熱血ドミニカ人です。私がここに到着した時には、彼らは崩壊した病院の現場で、診察を行っているところでした。そして、私はコミュニティと連絡を取り始め、キャンプ外での活動が始まりました。OCHAでの会議で、私たちの活動を報告したとき、他のチームもこの種類の活動を始めました。それはすばらしいことです。私たちは人々が歩みを進めるのを後押ししています。

また、これまでに私たちは地元のコミュニティ及び団体と強い結びつきができています。孤児院3件、高齢者と障がい者の養護施設1件とも密接に活動しています。つまり、私はもっとも弱く傷つきやすい人々―子ども、お年寄り、障がい者―の支援を試みているのです!私は一人一人を結び付ける「連絡役」として活動してきました。言い換えれば、他の人を必要としている人々と、彼らを助けることのできる人々とをつないでいるのです。

 この地における問題は圧倒的で、全てを解決することはできません。だから対象地域を選ばなくてはなりませんし、そこでさえ、人々が直面している最も重要なニーズのいくつかを解決すること、あるいは解決しようと試みることしかできません。レオガン周辺の農村地域、半農村においても、破壊は都市部と同様に重大です。しかし住宅は隣接しておらず散在しているため、一見して被害を理解することは容易ではありません。歩きまわって人々に話を聞けば、いかに被害が深刻かわかります。住民は通常の生活に戻ろうと試みていますが、多くの場所では水道が壊れていたり、畑で育てるための種を失ってしまったり、家を含め全てを失くしてしまっているのです。

レオガン地域に残された唯一の医療機関は私たちが活動していた病院です。しかしこの病院も、カトリックのシスターによって運営されているとは言え「私立機関」です。診療報酬は労働者の平均的な月給のと同等です。それゆえ、ほどんどの人は病院に行けるだけのお金がありません。病気になったり何かしらの治療が必要な場合は、首都ポルトープランスまで行かなくてはなりません。だから、もしレオガンに公立病院がなければ、コミュニティには医療機関が無いということなのです。必要な場合には、コミュニティの人々はポルトープランスまで行かなくてはならないということです。
                 クワテモック
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2010年02月15日

ハイチ地震レポートNo.30

現地のクワテモックさんがハイチ地震1ヶ月の様子を伝えてきました。短いレポートですが、ご紹介します。
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昨日(12日)は地震から1ヶ月目に当たる日でした。国家的に喪に服し、至る所で活動が中止され、祈りと賛美歌が響き渡りました。私は、プチ・リビエラ(Petit Riviere)というコミュニティに移動クリニックとして医療チームを連れて行きました。私たちが医療活動をしに入った隣では、教会で人々がずっと祈り歌い続けていました。
午後、コロンビア赤十字の知人が子どものために物資を持ってきてくれたので、早速、3カ所の児童養護施設に配りました。最初の施設では温かく迎えられ、2カ所目ではイベントに招かれました。そこでは、子どもたち全員が参加して、地震1ヶ月目の勇気づけの活動が始まっていました。地震で両足を無くした6歳の女の子を中心に子どもたちが座り、奮い起こすような素晴らしい歌を歌い始めました。
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ハイチ地震からちょうど一ヶ月目に、おそらく今最も世界中が注目している「バンクーバー五輪」が開幕した。開幕5日前にバンクーバー入りした、カナダ初の黒人総督ミカエル・ジャン氏は、ある式典でこう挨拶した。「世界から若い選手たちが集まって能力の限界に挑戦する間も、日々、勇気、忍耐そして希望を教えてくれるハイチの人たちを忘れてはならない」と。実はこうしてハイチ地震への支援を呼びかけた彼女は、40年前にハイチ独裁政権の圧制を逃れ、難民としてカナダに移住して来られ、苦学してジャーナリストになり、事実上国家元首である総督になられたそうだ。200以上の民族が共生するカナダだからこそ、こんなすばらしいリーダーが生まれるのだろう。多様化がもたらした゛平和の技術゛だ。カナダには「民族や人権の多様性を尊重する」という政策があるそうだ。

さて彼女は本番の開会宣言では五輪憲章の取り決めを意識して、ハイチ地震にはふれなかったとのこと。きっと胸中は穏やかではなかったかも知れない。でもこうしたメッセージが、ハイチ人の一人ひとりにしっかりと届き、そのハイチで一度醸成されたメッセージが、支援者にも届き、双方が学ぶ、まさに「支えあい、学びあい」の振る舞いが、今ハイチから世界中に伝播し始めている。是非被災地KOBEからも「寄り添いあい」という言葉も加えたい。日本からすれば地球の裏側に近いほど遠い国ハイチだ。しかし、全く遠いとは感じさせないのは何故だろうか?それはバンクーバーでハイチ出身の彼女が開会宣言をしたからであろうか?それとも関西在住のハイチ人Chachaさんが感動的なメッセージを投げてくれかからなのか?それともこのレポートでメキシコ地震の被災者でもあるクワテモックさんがメキシコ−KOBE−ハイチとつないでいるからなのか?

残念ながら今後、マスコミがハイチを話題にする量は激減するだろう。それでも私たちは、私たち一人ひとりのこととしてハイチと「痛みの共有」ができる。その理由は、きっとハイチから「いのちの輝き」が発せられているからであろう。このメッセージは、北海道の中学校にも、地震のあった新潟の被災者にも、中国四川省大地震の被災地にも、もちろんKOBEにも届いたはずだ。バンクーバーへの興奮にも負けないような心の祭典が、このいのちの輝きを受けとめた世界中の一人ひとりの間で繰り広げられているような気がする。私たちは世界中の一人ひとりと゛支えあいの連鎖゛を築くことができ、「KIZUNA (絆)」を育むことができる。

みなさん!ハイチを見守り続けましょう!相変わらずのご支援をよろしくお願いします。

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2010年02月13日

ハイチ地震レポートNo.29

レポート28号で、最新のクワテモックからの現地レポートをお伝えしました。彼が訪ねたLa Plaineという街は、Chachaさんの故郷だったのです。ハイチに入る直前に「可能なら尋ねて来て欲しい」とお願いしていたのです。ハイチに入ってから超多忙な毎日のようだが、忘れずにきちんと果たしてくれました。もちろんChachaさんにとっては、郷里に帰られご自分の目で見なければ・・・、というところでしょう。街そのものの被害は首都ポルトー・プランスやクワテモックが活動するレオガンの被害とは格差があるようですが、Chachaさんの姉と弟が亡くなっていますので、より胸中は複雑かもしれません。

お連れ合いの智子さんからお礼のメールが届きましたので、以下に紹介します。
「クワテモックさんからのメールを拝見しました。お忙しく活動中にもかかわらず、多くのラジオ局に足を運んでいただき、また夫Chachaの故郷にも訪れてくれたと聴いて、そのあふれる使命感に感動しています。Chachaの故郷は、被害がひどくないということで、比較的落ち着いているのだろうと安心しました。後は夫が現場に行って、いろんな意味での再建の可能性を探ってくると思います。

余談ですが・・・
以前、ハイチの首都で突然学校の建物が倒壊し、子供たちが亡くなったことがありました。建築現場を見ていると、この建て方で大丈夫なのかな・・・と素人の私でも感じてしまうことも多々あり、仰るように、再建するときには建築方法の確認も必要は不可欠だと思います。

以前、首都の主要通りデルマDelmaに住んでいたときに、ブロックを積み上げただけのような家々(これは庶民の家です。)を見ました。この家々の中に、みなひしめき合うように生きています。日本だからできる、日本にしかできないという視点での支援法があると思います。それは村井さんの仰るとおり「知恵」です。ハイチ人のためにその能力を生かせる真のエリート日本人たちを活用してもらいたいです。
(中略)ハイチという国を、その位置や国益だけにとらわれず、応援していただければ幸いです。」

皆さん、いましばらくハイチを見守って下さい。

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