2010年03月25日

ハイチ地震レポート No.39

3月25日の神戸新聞によると、ハイチ大地震後1年間の緊急人道支援として、国連が国際社会に要請した14億ドル(約1265億円)のうち現在までに半分しか集まっておらず、3〜4ヶ月後に食糧支援に影響が出る可能性があるとの指摘があるそうです。

通常、災害後の緊急支援要請額は半分以上が食糧支援に充てられますが、このような状況では基本的ニーズさえも満たされず、復興がままならないという恐れも予想されます。

こうした報道の一方で、また、ハイチ国外からの支援を取り上げる報道が多い中、ハイチの住民どうしのすばらしい助け合いも生まれています。被災地から移住してきた人々を受け入れ、互いの尊厳を大切にして
家族のようなコミュニティを築いている場所があるというのです。

このようなニュースを先日のハイチ地震レポートNo.37で一部ご紹介しましたが、全文を「CODE World Voice〜災害から見る人々のくらし〜」にアップしましたのでご紹介します。
長文ですがぜひアクセスしてご覧下さい。

下記は冒頭の抜粋です。
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家族的な感覚で:同胞を支えるハイチ人の地道で地元に根ざした取り組み
情報源:Church World Service(CWS)

家が被災し収入を失ったという現実に直面して、Fontil Louiner(人名)と24人以上の家族と友人は、土地を手離してハイチの首都ポルトープランスを離れるしか選択肢がないと考えた。

「私達には他の選択肢はなかった。とどまってはいられなかった。」と39歳のビデオ映像技師である彼は言った。彼はArtiboniteの北部の県にある故郷のPetite Riviereに最近戻ってきたのだ。

しかしLouinerは戻ってきて、Petite Riviereでの一日500食の給食プログラムの立ち上げに協力することによって、拡大しているポルトープランスからの脱出者の一員になった。それだけでなく、ハイチの人々を支援する国際的な支援従事者達の最近の映像と体験談が急増していた中でしばしば見落とされてきた物語の一部になった。

これらの映像と話は最近ハイチで起こった地震への国際的な対応の現実の一部を伝えるものであるが、別の現実はしばしば部外者には無視されている。それはこのように同胞であるハイチ人を支えるLouinerのような地道で地元に密着した取り組みをするハイチ人についてである。

続きはこちらからご覧下さい↓
http://codeworldvoice.seesaa.net/article/144614351.html
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2010年03月24日

ハイチ地震レポート No.38

 前号では、被災移住者を受け入れている地域で繰り広げられている感動的な支えあい活動を紹介させて頂きました。
 ハイチの歴史を知る人たちの中には、「ハイチの国をダメにしてきたのは、外国が介入してきたことが原因だ!」と分析する方もおられます。そう言えば2004年のインド洋沖地震津波災害の時にも、インドネシアのバンダ・アチェに海外からの大量の支援が入り、アチェの人々の主体性を損なったという指摘もありました。地元のNGOなどは相当な怒りを露わにしていました。この後、NGOはじめ国連も含めて海外からの援助機関は、災害後の支援のあり方について随分と議論もされたようです。

その後インドネシアの中部ジャワ地震の時には2004年の失敗が生かされ、被災地に当事者主体のネットワークがすぐに立ち上がりました。この2004年の津波災害の時には、CODEはスリランカに入りその後支援プロジェクトを展開してきましたが、正直インターナショナルNGOと言われる大きなNGOが現地で展開していた支援プロジェクトを見て唖然とさせられたことを思い出します。ある漁村に言って、漁師と話していると「(我々に対して)あなたたちは私たちに何をしてくれるのですか?」と聞かれました。初対面で初めて会ってまだ何も話しも聞かせて貰う前のことです。「えっ、どうしてですか?」と聞き直したら、「○○のNGOは、船も、漁具も、仮設住宅も提供してくれた。次はあそこに恒久住宅も提供してくれる!」と遠くの丘を指さして説明されるのです。「そうですか、私たちは小さな小さなNGOですから、申し訳ないですが阪神・淡路大震災の経験しか語れないのですよ。これKOBEから持ってきたハンド・クラフトだけどよかったらどうぞ!」って、阪神・淡路大震災の被災者が作っている”まけないぞう”をおいて帰りました。そのとき、その漁師はすぐに椰子の木にの登って、椰子の実を採ってくれ、その場で切って、飲ませてくれました。きっと通じたと思いました。

 さて、丁度先日19日から21日まで神戸で「世界災害語り継ぎフォーラム」が開催され、初日のオープニング・シンポジウムに登壇されていたバングラディシュのムハンマド・サイデュール・ラーマンさん(バングラディシュ災害予防センター所長)が、「海外からの支援はほんとに被災者地震をエンパワーするものになっているかどうかを考えなければならない!」というような発言をされていたのが印象的でした。

 今回のハイチ地震では過去に経験しない、首都が壊滅状態になるという大規模な被害となり、しかも被災地からの国内移住者が約50万人にも達するという事態に戸惑いを隠せないのも事実でしょう。しかし、世界中の叡智をハイチに投入すれば、ハイチの再建は可能であり、しかもこれまでにない理想的な災害からの再建を築くことができると願っています。いま、しばらくハイチを見守りましょう!!

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FMわぃわぃは、ミュージシャンのソウルフラワーユニオンと協力して、ハイチ地震で大きな被害を受けたコミュニティラジオ局の支援活動を始めます。ソウルフラワーユニオンの特製Tシャツ「HAITI HEARTS CONNECTED WITH US!」(私達の道は、ハイチの人々の心と繋がってる)の売上金(一枚3,000円)の一部を、FMわぃわぃを通じてハイチ地震で壊滅的な被害を受けたコミュニティラジオ局に届け、一日も早くハイチの人々に希望の音楽を届けてもらおうという活動です。
購入方法など詳しいことは、3月22日(月)12時からの番組「まちはイキイキきらめきタイム」にソフルフラワーのヒデ坊こと伊丹英子さんが生出演しました(12時5分-12時15分・担当/吉富)ので、番組内でお知らせもしました(http://www.tcc117.org/fmyy/index.php?e=669#more
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2010年03月23日

ハイチ地震レポート No.37

去る20日、岡田外務大臣は31日にニューヨークで開催予定の支援国ドナー会議を前に、滞在時間6時間という超強行スケジュールの中ハイチを視察されたようです。
ハイチ地震から2ヶ月余りが過ぎ、被災地ではまだガレキが山積みになっているという報道もあり、そして未だに家をなくした人たちにビニールシートさえ配られないという状況も見られるようです。あまりにも甚大な災害となったために、いろいろな事柄がこれまでには未経験のこととして被災者を襲うことで不安を増長させることが心配です。
他方、地震後首都ポートプランスを離れて地方に移住された方々が約50万人にものぼるようですが、その移住先ですばらしい支えあいが生まれているというニュースが入りましたので紹介します。これはCODEの翻訳ボランティアの方がChurch World Serviceが出しているレポート(3月10日)から見つけたものです。

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地震の発生と、この数週間で約8,000人とも言われる人々がPetite Riviereにやってくるというような突然の何千人もの人の到着という事態に対して、このラジオ局は草の根の活動としての給食プログラムを支援するため、市民の支持を盛り上げる役割を果たしている。CONHANEや他のラジオ局であるRTAと一緒に動いて、ファミリーラジオは食料の寄付や食料のための募金のアピールをだした。そのひとつはこんな感じだ。
「もしあなたのところが6人家族なら、ゴブレット(脚・台つきコップ)一杯の米を寄付して下さい。」

この取り組みはうまくいっており、地元の住民は米やその他の食料を持ち込み、ポルトープランスから移住してきた住民のために一日500食の食事を提供するための募金をしている。全員ではないが、移住者の多くはこの地方につながりがある。局の職員やボランティアたちはファミリーラジオの事務所やスタジオの近隣にある給食センターで食事を配っている。
「彼らがこの食事を必要としていることを私達はわかっている。そして職員やボランティアや支援者全員にたくさんの分かち合いの気持ちがある。」とLouinerは付け加えた。
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というもので、実はこのLouinerは被災者でもあるのです。
また、首都ポートプランスではハイチ政府によるガレキ撤去プログラムの活動風景があちらこちらで見受けられるようで、これは”cash for work”という手法でガレキを片づけるという仕事をして、賃金を得るというシステムです。ハイチでは商店なども機能しており、お金さえあれば最低限の生活必需品は購入できるようで、こういうシステムで被災者が復旧事業で働きながら稼ぐということが一定補償されれば、自らの力で暮らしの再建が可能になると思うのです。
このような二つの被災地の光景を見ると、海外からの支援のあり方というものを如何に被災者目線で、被災者主体で提案することができるのかが重要になってくるでしょう。
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2010年03月14日

ハイチ地震レポート No.36

先日はハイチ地震から2カ月目でのコメントのようなものを書きました。ちょうど3月13日の「秋田さきがけ新聞」に、阪神・淡路大震災を経験された記者がハイチの首都ポートプランスから送った記事があり、「ハイチに宿る生の輝き」と言う先日のレポートと関連するような見出しだったので、思わず目に泊まりました。

ところでオバマ大統領は共同記者会見で「現地では惨状が続いており、危機が終わったという幻想を抱くべきではない」と述べ、地震から派生する新たな災害の可能性を警告、震災の復旧・復興に対する支援を約束し、ハイチの被災者が依然として、食料や医薬品を必要としているとした上で、「現在の課題は二次的災害を防ぐことだ」と強調したとのこと。しかしここで言う「二次的災害」とは、何を指すのか解らない。

これに対し、ハイチ・プレバル大統領は米国の支援に謝意を示すとともに、「ハイチで起きたことから教訓を低き出さなければならない」と主張。将来の災害に備え、救援を効率的に調整する国際体制を整える必要があると訴えたそうです。やはり「ハイチは輝いている」。だから、私たちはハイチの人たちを見守り続けましょう!
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2010年03月13日

ハイチ地震レポートNo.35

ハイチ地震からちょうど2カ月が経ちました。被災地は緊急を要する「応急対応」の時期から、次の「復旧・復興」の段階に移行しつつあるようです。先日も、ハイチの大統領は、国際社会からの援助に対して、いつまでも救援物資などを投入しないで欲しい!と訴えていたのが印象的でした。そこにはハイチの国の自立がそがれるからというニュアンスを読み取ることができました。この大統領のアピールからは、決して傲慢さは感じませんでした。

このハイチ地震レポート20・21で、14年前の阪神・淡路大震災1年後の被災地からのメッセージを紹介しています。「いま被災地の市民は自ら”語り出す”、”学ぶ”、”つながる”、”つくる”、”決める”行動を重ね、新しい市民社会を創造していく力を養おう」と、これから押し寄せてくる困難に、長きにわたって立ち向かわなければならない覚悟をし、辛抱強く自分と向き合っていました。

地震から2カ月経ったハイチの「いま」からは、阪神・淡路大震災とは異なった、何か底力を感じるような、また心地よささえ感じるような振る舞いを見てとれます。振り返って見ると、阪神・淡路大震災の2カ月後では、被災者の多くはまだまだ、勇気を持って一歩踏み出すことは出来なかったのではないかと思えます。この違いは何だろう?と考えると、よく言われる典型的なラテン系の明るさだけでは説明がつかないようです。おそらく、中南米で最初に奴隷解放を成し遂げた歴史がもの語るように、短い期間かも知れないが、ほんとの自由を掴みかけたからこその強さではないかと学べるように思います。

日本のように「ぬるま湯」に浸かり過ぎて、ほんとうの豊さを掴み切らない状態から脱出するには、「いま」ハイチの人たちが生きている一日一日を見逃してはならないと思うのです。15年前、KOBEの私たちがいのちがけで体感した絆の大切さを、いまハイチの被災者も感じているでしょう。
posted by code at 13:31| Comment(0) | ハイチ地震救援ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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