2012年09月24日

【2012年ハイチ訪問レポートNo.9】


8月、代表の芹田とスタッフの岡本がハイチ地震の被災地を訪れました。
カウンターパートのACSISを通して支援した女性の暮らしを、いくつかのレポートに分けてご紹介していきます。

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■2012年ハイチ訪問レポートNo.9
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*ミルベル・ローズ・セイントアニーさん(軽食販売)の話
広場の一角で、サツマイモを揚げたものやパイの中に卵や野菜を入れて揚げたもの(パティと呼ばれる)、豚肉料理などを売る屋台を営んでいる。サツマイモとパティ1つずつで15グールド(30円)であった。

500ドルを借り、様々な材料の仕入れに使って店を強化した。地震で材料や道具を失ったので、それを埋めることができた。返済も終わり、軌道に乗っている。子どもは4人(10代〜20代くらい)で彼女の店を手伝っている。日に2000〜2500グールド(4000〜5000円)を売り上げる。

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*デセナ・マリー・カルメレさん(露天食堂)の話
「またローンを借りたいのよ。いつやるのよ?」それが彼女の第一声だった。これまでで一番パワフルな方である。デセナさんは初めに250ドルを借り、返済。次に500ドルを借り、これも返済した。彼女の仕事は露天食堂である。壊れた誰かの家の軒先に調理器具を置き、残った骨組みを店として利用している。

豆入りのごはんに、野菜の煮込みと肉を乗せたハイチの定番料理が80グールド(160円)。調理の際、ハイチでは炭を使うことが多い。ジュースは大きなクーラーボックスに氷水を溜め、冷やしてある。忙しく働くデセナさんの横で、娘さんの一人が手伝っている。

彼女には4人の子どもがいるが、夫はいない。教育費がかかるという。「私以外はみんな学校に行ったわ」と笑う。一日1500〜2000グールド(3000〜4000円)を売り上げる。

繁盛しているらしく、私たちがここで昼食を取っている間にも何組かの客が訪れた。外で働く人たちは、こうした食堂で昼食を取ることが多いようだ。「またローンを借りられたら、もっと店を大きくしたいわ」と微笑んだ。

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【2012年ハイチ訪問レポートNo.8】

8月、代表の芹田とスタッフの岡本がハイチ地震の被災地を訪れました。
カウンターパートのACSISを通して支援した女性の暮らしを、いくつかのレポートに分けてご紹介していきます。

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■2012年ハイチ訪問レポートNo.8
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*エバルス・マージョリーさん(日用品売り)
13歳の娘と夫の3人暮らし。夫婦そろって話に応じてくれた。見たところ、震災前から住んでいるという家は小奇麗である。震災で家にひびが入ったりはしたが、自力で直せる程度であった。

はじめに250ドルを借り、ドミニカとの国境の町マルパスで日用品を仕入れ、それを掛売りするという商売を始めた。この商売は近隣の女性何名かも行っており、比較的ポピュラーなようである。一人でトラックを借りるわけではなく、何人か集まれば業者がトラックを出し、乗合で走る。マルパスから積んでくる荷物の量に応じて対価を支払う仕組みだという。この商売がうまくいき、返済ができた上に貯蓄もできるようになった。

次に750ドルを借りて、35000グールド(約7万円)でオートバイを買った。このオートバイを夫が運転して、ハイチでよく見かける「バイクタクシー」業を開始。2人まで乗せることができ、客の希望でどこにでも行く。たとえばここリゾンからポルトープランスのデルマ地区まで(1時間弱)は250グールド(約500円)で走る。

この750ドルの返済も順調に完了し、新たに1000ドルを借りた。これまでの商売で築いた貯蓄と合わせて中古の大型自動車を6500ドルで購入。タプタプと呼ばれる乗合タクシーを経営している。自分が運転するのではなく、運転手に自動車を貸し、売り上げから一定の額をもらうという形である。商売が成功し、生活も安定した。

これほど大きな商売を行うのは初めてである。うまくいった理由は、「真剣に取り組んだからだよ」と自信ありげにバイクを見せてくれた。旦那さんはこれから果物を別の場所に届ける仕事があるらしく、大きな袋を後ろに乗せて走っていった。
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【2012年ハイチ訪問レポートNo.7】

8月、代表の芹田とスタッフの岡本がハイチ地震の被災地を訪れました。
カウンターパートのACSISを通して支援した女性の暮らしを、いくつかのレポートに分けてご紹介していきます。

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■2012年ハイチ訪問レポートNo.7
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*ベルフォート・アンナさん(日用品販売)の話
今回お会いした女性の中で、ひときわ厳しい状況に置かれた方であった。
住宅地のなかに、突然開けた場所が現れる。地震で壊れた住居の骨組みが残ったところに、テント、ブルーシートなどで小屋をつくり3世帯ほどが暮らしている。ベルフォートさんは5人家族。娘3人と、1歳になるかならないかの孫である。テントの側には井戸があり、別の女性が水を汲み上げ洗濯の真っ最中であった。水は十分にありそうだったが、雨の少ない季節には干上がることもあるという。

ベルフォートさんは200ドルを借りて商売を始めたが、その後、困難な状況に陥ってしまった。当初、ドミニカとの国境の町マルパスに行き、様々な物資を仕入れて地元で掛売りをしていたが、病気になり続けられなくなってしまったのである。高血圧と呼吸器系の病気だという。話をする表情にも笑顔は無い。娘さんも働いていないとのことだった。「昨日ごはんは食べられましたか?」と聞いてみたが、愚問を鼻で笑うようにうつむき「ノン」と答えた。

テントの中を見せてもらうと、5人が寝るためのベッドとちょっとした棚でいっぱいである。電気を引いているようでテレビと携帯電話があった。昼時だったが食器類は片付けられたままで、野菜のかけらがテーブルに転がっていた。隣の小屋の女性が外でスープのようなものを炊いていたが、ここに住む10数人がシェアできる量ではなさそうだった。ここには、ベルフォートさんの孫のほかに乳児がもう二人、それに2〜3歳くらいの男の子2人と5歳くらいの女の子がいた。ここにいる人たちどうしの支えあいや、近所とのかかわりなどを頼りに、何とか生活をつないでいるようであった。

彼女たちの状況は、街なかの活気ある露天商たちとはまた違う。家はなく、健康上の理由や子どもがいるといった理由で働ける状態にも無い。自力で生活を維持することが困難でも、最低限の保障も無い。最も貧しい人たちの厳しい現実をつきつけられた。ACSISとは引き続き、随時こうした人たちを見守っていただけるようにコンタクトを続けていきたい。
(岡本 千明)
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2012年09月20日

【2012年ハイチ訪問レポートNo.6】

8月、代表の芹田とスタッフの岡本がハイチ地震の被災地を訪れました。
支援地の人々の声を、いくつかのレポートに分けてご紹介していきます。

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■2012年ハイチ訪問レポートNo.6
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*ゲリー・ディウリンさん(軽食販売)の話
夫と4歳の息子と暮らす自宅の近く、住宅地の細い路地の一角で、パンとオムレツを売っている。幅2m、奥行き1mほどの小屋である。近くにある学校の子どもたちが主なお客さんだと言うが、「いま学校が休みだからねえ」と、店先で横になって昼寝していた。学校があれば、ひとつ25グールド(50円)で日に30〜40個を売り上げる。250ドルを借りて材料費などに当て、すべて返済した。私たちの訪問で起こされたからか少し気だるそうに、「店の調子はまあまあね。また借りられるならもっと仕入れたいけど」と言いながら、彼女に甘えてまとわりついてくる息子をあやしていた。売れ行きはまずまずのようだった。

「こういうローンが無いとき、お金を借りるような仕組みはあるの?」と聞くと、近隣で互助組合があることを聞いた。グループをつくり、その各メンバーから毎月少しずつお金を集め、その中の一人に順番に集まったお金を渡していくという、いわゆる回転型貯蓄信用講である。その月にお金がもらえた人にとっては、ボーナスが入ったようなものである。これを商売の開店資金にする人もいるだろうし、冠婚葬祭や子どもの学費に当てる人もいるだろう。しかし、当然であるが、毎月の拠出金が工面できない人は参加することができない。彼女も参加経験があるが、いまはやっていない。近くに住む別の女性にも聞いたが、拠出金が払えないからやっていないという答えだった。

また、小規模金融の例として、私的な業者が人々に5人組などのグループを作らせてお金を貸す消費者金融のようなものもあるという。しかし、健康状態の悪化などで生活の危機が往々にして起こりうるハイチでは、「連帯責任」よほどの信頼関係が無い限り敬遠されている。当初、ACSISのローンでもグループ形成の案があったが、住民はこうした事情からグループ制には反対したという。コミュニティには様々な互助機能があるが、日本で私たちも経験しているように、都市ではその役割が希薄になりつつあるようだった。

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(岡本 千明)
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2012年09月18日

【2012年ハイチ訪問レポート No.5】


8月、代表の芹田とスタッフの岡本がハイチ地震の被災地を訪れました。
支援地の人々の声を、いくつかのレポートに分けてご紹介していきます。
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■2012年ハイチ訪問レポートNo.5
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*マリー・アンジェ・ドゥソウさん(日用品売り)の話
この一帯はカナアンと呼ばれ、なだらかな山の麓にある。聖書にあるカナアンからとられたのだろうかと聞くと、ガードマンのウィルフリーさんはそうだと言った。山と言っても樹木はほとんどない。ハイチはもともと緑豊かな国であったが、圧制下の貧困を生き延びるため、人々は燃料や建材になる木を売るしかなかった。結果、山肌が見えるまでに荒れた土地はもはや保水力を失い、豪雨があるとたやすく崩れてしまう。

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マリー・アンジェさんはこの地で、支援団体によって建てられた家に夫と妹と3人で住んでいる。広さは6畳一間ほどであり、奥にベッドを置き、手前は食事などのスペースにしている。壁と柱は木造、屋根はトタンである。雨に備えてだろう、30cmほどの高床にしてある。仕切られている敷地は広いが、水道は無く、したがってトイレ・風呂は無い。1ガロン(約3.8リットル)1グールド(2円)で業者から水を買って暮らしている。

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カナアンにはもともと人は住んでおらず、何もない荒れ地だった。しかし、地震後に政府がキャンプからの立ち退きを推奨し、人々はこの地を開拓した。地面をならし、家を建てた。政府はこれを黙認した。ガイドのルシアンは、「地盤も、インフラの面でも、人の住めるような場所じゃないよ」という。他の集落からも遠く離れ、町としての機能を持たない寂しい土地だ。「乳と蜜の流れる地」と描写される「カナアン」とは皮肉な名前である。

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山から取れる白く乾いた土が建築用ブロックの材料となるらしく、それを集めた小さな工場がところどころにある。それを除けば家とキオスクのような小屋だけが点在し、コミュニティと呼ぶにはあまりに閑散としている。マリー・アンジェさんによると、「近所の人とのかかわりはほとんどありません」。近所で子供たちがサッカーをすることがあるというので、まったく近隣の交流が無いわけではないが、暮らしを助けあったり悩みを話しあったりするような関係ではない。バプテスト系の支援団体が建てた教会――と書かれた小屋――が彼女の家の隣にあるが、それも寄り合いの場になることは無いのであろうか。

ガイドのルシアンが言うには、ハイチでも田舎に行くと、長年そこに住んでいる人たちのコミュニティがあり、そこでは結束のもとに暮らしが成り立っている。しかし、ポルトープランスのような都市に地方からやって来た人たちの集まるところでは、そのようなつながりの意識が無いことが多い。人々は、自分がその日生きるのに精一杯なのだという。

マリー・アンジェさんの場合、病気が暮らしの再建を阻んでいる。彼女は最初の融資200ドルで洗剤などの日用品の販売を行った。それはうまく行き、ローンを返済することができた。しかし、ふたたび200ドルの融資を受けて商売を行っていたところ、体調を崩し商売を辞めてしまった。消化管の病気で出血したという。「これから先のことはわかりません。体調はましになったけど、もう医療費は払えません。夫は不定期の日雇いで、安定した収入はありません。」

ここが仮暮らしとなるのか、あるいはここに根を下ろさざるを得ないのか、人々は見通しを持てず、その日を生きることにただ力を尽くしている。
(岡本 千明)

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