2012年09月13日

【2012年ハイチ訪問レポート No.4】

8月、代表の芹田とスタッフの岡本がハイチ地震の被災地を訪れました。
支援地の人々の声を、いくつかのレポートに分けてご紹介していきます。

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■2012年ハイチ訪問レポートNo.4
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*マキュレーさん(洋服売り)の話
マキュレーさんは、大きな道路の脇に台を設けて洋服を販売している。ここは住宅地というよりは、郊外を走る車用の道であり、街中と違って他に露店もほとんどない。こんなところで服が売れるのだろうかと思うが、「順調ですよ」と話す。

マキュレーさんは地震以前、ここから少し離れたリゾンという地域で比較的大きな店を経営していた。しかし地震で家と店が壊れ、この地に移ってきた。ACSISから借りた約275ドルは露店の仕入れなどに使った。売り上げは好調で、ルールどおり6ヶ月かけてすべて返済することができた。卸店で100〜200枚のストックをまとめ
て買い(5000〜7500グールド)、それを小売している。昨日の売り上げは24枚。1枚あたり約約100グールド(約200円)である。日によって売り上げは異なるが、今日は、このとき11時の時点で5枚の売り上げである。これで二人の子どもを養っている。

ちなみに、事前に聞いてはいたのだが、ハイチの人はおしゃれだ。女性は、鮮やかな色のシャツやワンピースがよく似合っている。黒でクールに決めている人もいる。袖や襟の形、フリルやストラップなどの装飾も様々である。男性はカジュアルなポロシャツやスポーツ風のTシャツなどが人気のようだ。こうしたおしゃれ好きな人たちが、通りすがりに服を買っていくのだろうか。

マキュレーさんはこう話した「ローンはとても役に立ちました。もしまた機会があれば、仕入れに使って店を大きくしたいです。」

(岡本 千明)
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2012年09月06日

【2012年ハイチ訪問レポート No.3】

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■2012年ハイチ訪問レポートNo.3
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「ハイチで生きるのは高くつくんだ」とガイドのルシアンは言います。

収入と支出が見合わないのです。収入源が無いこと、そして収入が無いときのセイフティネットが無いことが、人々の暮らしを不安定にしています。地震で生活の基盤を失った人たちが「自立」していくためには、雇用と社会保障が必要です。

ハイチにおける雇用とは何でしょうか。それは、自営業(セルフ・エンプロイメント)です。認可を受けた店や企業などに雇われて働いているいわゆる正規の「従業員」は少なく、自ら道路わきの露店でものを売ったり、乗り合いタクシーを走らせたり、靴を磨いたりと、スモール・ビジネスで稼ぎを得ている人がほとんどです。これらは、大きな店舗や企業などのフォーマルな経済に対して、登録したり、営業許可があるわけではないインフォーマル経済と呼ばれています。インフォーマルではありますが、これがある意味ここの主流であり、人々の生活を支える重要な経済です。

CODEがカウンターパートのACSISを通して支援したのは、こうした自営業の女性たちの開店資金です。40人の女性を対象に150ドルから500ドルを融資し、2%の利子で6ヵ月後に返済します。この数字は、地元の現状を反映してACSISが設定したものです。

ACSISは女性たちを対象に説明会を開いて条件を理解してもらい、各人の希望額と商売の計画、家族の状況などをヒアリングした上で2011年2月に最初の融資を行いました。セミナーも開いて商売のポイントを勉強しました。半年から1年後、融資によって商売が軌道に乗り、その後融資を返済できた人もいれば、融資は返済したが商売は辞めてしまったり、あるいは商売が続かず融資も返済できなかったという人もいます。初回の回収額は7割程度でした。

失敗した人は、事業自体の不振というよりは、病気で辞めざるをえなかったり、家で他に大きな出費があって元手を失い、その後仕入れができなくなってしまったといったケースが多いようです。ぎりぎりの生活では、ひとたび危機が起こるとより困難な状況に転落してしまい、そこから立ち上がることができなくなってしまいます。そんなとき、本来であれば生活保護のような形で暮らしが保障されなければなりませんが、ハイチの人たちはその基本的な権利を守られているとは言えません。

今回、融資を利用した何人かの女性から話を聞くことができましたので、彼女たちの現状を紹介していきたいと思います。

(岡本 千明)
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【2012年ハイチ訪問レポート No.2】

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■2012年ハイチ訪問レポートNo.2
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ハイチの物価は決して安くありません。露店のペットボトルのジュースは1本25グールド(50円)。屋台で昼食を食べれば一人100グールド(200円)、町の食堂に入れば200グールド(400円)。洗濯用にと思って露店で買ったバケツは1つ100グールド(200円)でした。路上で売っている音楽CDは――明らかにCD-ROMにコピーしただけのものですが――1枚100グールド(200円)です。40歳くらいの「ヒラ」の公務員の給与が月500ドルだそうですから、物価の高さがうかがえます。ちなみに富裕層しか利用できないような冷房の効いた大型スーパーマーケットに行けば、クッキー1パックが80グールド(160円)、500mlの水1ダースで170グールド(340円)です。最も貧しい人はどうやって生きているのか?混乱しますが、ハイチには、幾通りかの物価の世界があるようでした。震災後、外国からの援助流入による影響もあり、物価は安定しないようです。

一方、IOMが避難キャンプからの立ち退き支援費用(家賃補助)として1世帯に渡しているのは500ドル。これは、つつましく食べていくだけなら1年間はもつ額だといいます。しかし、生活とは食べていくだけのことではありません。栄養状態が悪いため、病気にかかりやすく医療費がかかります。子どもの教育費は、ハイチでは生活を圧迫する大きな出費です。そして最大の問題は、働きたくとも仕事が無いのです。

他の支援団体の話では、キャンプは明らかに少なくなったといいます。「ここもテントだらけだったんですよ」と指し示されたところは芝生の広場になっていました。「でも、キャンプを離れた人がどこに行ったのかはわかりません。」

「アビエーション・キャンプ」と呼ばれる避難キャンプの側を通ると、ちょうど2年前にCODEの野崎理事が撮ってきた写真と同じ風景が目の前に広がったため、すぐそこだとわかりました。そのままの同じ風景だったからです。テントは減っておらず、敷地を埋め尽くしていました。「キャンプにいれば、食事ももらえるし教育も受けられる。本当は出て行きたくない人も多いんです。」

(岡本 千明)
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2012年09月03日

【2012年ハイチ訪問レポート No.1】

CODE海外災害援助市民センターです。
代表の芹田とスタッフの岡本がハイチ地震の被災地を訪れました。
2011年3月にメキシコのパートナー、クワゥテモックさんがハイチを出たのを最後に、1年半ぶりの訪問となりました。日本からの訪問は2年ぶりで、これまでのプロジェクトの経過のヒアリングと、今後の新しいプロジェクトの打合せを行ってまいりました。

CODEは震災後に立ち上がった現地の住民団体「ACSIS」をカウンターパートとして、2011年1月から女性の起業支援のための小口融資事業を行ってきました。この融資を利用した人たちの声などを、いくつかのレポートに分けてご紹介していきます。

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■2012年ハイチ訪問レポートNo.1
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*地震から2年半の被災地
ハイチの日射しは、じりじりと肌が焼けるような熱さです。

首都ポルトープランスのダウンタウン中心部では瓦礫が既に片付けられている場所が多く、主要道路を車で走るだけではかなり復興したように見えます。一方、建物の9割が倒壊したと言われているレオガンでは、やはり瓦礫や更地が目につき、被害の大きさを物語っています。また、ハイチではほとんどの建物がブロック作りで、全壊を免れた建物も屋根や壁が部分的に崩れたままになっているのをよく見かけます。地震であれほど壊れたにもかかわらず、いま建てている建物もブロック作りです。一段積んではセメントを糊にし、また一段積み上げる――そうして2階建て、3階建てにします。木材がないことや、「ブロック作りの建物はステイタス」という感覚もあるようですが、もし再び同じ揺れが起きたらと懸念します。

街なかは多くの人が行き交い活気があります。2010年4月、村井事務局長が地震から3ヶ月後のハイチを歩き、「露天商のパワーがすごい!」と言いましたが、まったく同感で、隙間さえあれば店を構え、ありとあらゆるものが売られています。洋服、靴、家具、電化製品、食料、日用消耗品、食器、おもちゃ……。300mも歩けばデパートに行く必要はなさそうです。店番しているのはほぼ女性です。

大きなキャンプも残っており、家をなくした方々がテントやトタン、ブルーシートなどで作った小屋に住んでおられます。IOMによれば、575のキャンプに39万人が生活をしているといいます(8月28日)。ピーク時はテント生活者が150万人と言われましたが、キャンプを離れても、むしろキャンプ以下の貧困の暮らしから抜け出せないでいる人たちが少なくありません。こうした中、8月25日にもハリケーンが直撃しました。嵐の度にテントは水に浸かり、犠牲者が出ています。水害は感染症の原因ともなります。2010年10月頃から流行しているコレラは、最近少し収まりつつもこれまでに58万人以上が感染し、約7500人が亡くなっています(8月10日、OCHA)。

それでも確かに活気を感じるというのは、植民地時代、独裁政権時代、その後の弾圧の時代など、凄まじい権利の侵害と恐怖を生き延びてきた人たちの不屈の精神が受け継がれているように感じました。

(岡本 千明)
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