2012年09月06日

【2012年ハイチ訪問レポート No.3】

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■2012年ハイチ訪問レポートNo.3
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「ハイチで生きるのは高くつくんだ」とガイドのルシアンは言います。

収入と支出が見合わないのです。収入源が無いこと、そして収入が無いときのセイフティネットが無いことが、人々の暮らしを不安定にしています。地震で生活の基盤を失った人たちが「自立」していくためには、雇用と社会保障が必要です。

ハイチにおける雇用とは何でしょうか。それは、自営業(セルフ・エンプロイメント)です。認可を受けた店や企業などに雇われて働いているいわゆる正規の「従業員」は少なく、自ら道路わきの露店でものを売ったり、乗り合いタクシーを走らせたり、靴を磨いたりと、スモール・ビジネスで稼ぎを得ている人がほとんどです。これらは、大きな店舗や企業などのフォーマルな経済に対して、登録したり、営業許可があるわけではないインフォーマル経済と呼ばれています。インフォーマルではありますが、これがある意味ここの主流であり、人々の生活を支える重要な経済です。

CODEがカウンターパートのACSISを通して支援したのは、こうした自営業の女性たちの開店資金です。40人の女性を対象に150ドルから500ドルを融資し、2%の利子で6ヵ月後に返済します。この数字は、地元の現状を反映してACSISが設定したものです。

ACSISは女性たちを対象に説明会を開いて条件を理解してもらい、各人の希望額と商売の計画、家族の状況などをヒアリングした上で2011年2月に最初の融資を行いました。セミナーも開いて商売のポイントを勉強しました。半年から1年後、融資によって商売が軌道に乗り、その後融資を返済できた人もいれば、融資は返済したが商売は辞めてしまったり、あるいは商売が続かず融資も返済できなかったという人もいます。初回の回収額は7割程度でした。

失敗した人は、事業自体の不振というよりは、病気で辞めざるをえなかったり、家で他に大きな出費があって元手を失い、その後仕入れができなくなってしまったといったケースが多いようです。ぎりぎりの生活では、ひとたび危機が起こるとより困難な状況に転落してしまい、そこから立ち上がることができなくなってしまいます。そんなとき、本来であれば生活保護のような形で暮らしが保障されなければなりませんが、ハイチの人たちはその基本的な権利を守られているとは言えません。

今回、融資を利用した何人かの女性から話を聞くことができましたので、彼女たちの現状を紹介していきたいと思います。

(岡本 千明)
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【2012年ハイチ訪問レポート No.2】

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■2012年ハイチ訪問レポートNo.2
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ハイチの物価は決して安くありません。露店のペットボトルのジュースは1本25グールド(50円)。屋台で昼食を食べれば一人100グールド(200円)、町の食堂に入れば200グールド(400円)。洗濯用にと思って露店で買ったバケツは1つ100グールド(200円)でした。路上で売っている音楽CDは――明らかにCD-ROMにコピーしただけのものですが――1枚100グールド(200円)です。40歳くらいの「ヒラ」の公務員の給与が月500ドルだそうですから、物価の高さがうかがえます。ちなみに富裕層しか利用できないような冷房の効いた大型スーパーマーケットに行けば、クッキー1パックが80グールド(160円)、500mlの水1ダースで170グールド(340円)です。最も貧しい人はどうやって生きているのか?混乱しますが、ハイチには、幾通りかの物価の世界があるようでした。震災後、外国からの援助流入による影響もあり、物価は安定しないようです。

一方、IOMが避難キャンプからの立ち退き支援費用(家賃補助)として1世帯に渡しているのは500ドル。これは、つつましく食べていくだけなら1年間はもつ額だといいます。しかし、生活とは食べていくだけのことではありません。栄養状態が悪いため、病気にかかりやすく医療費がかかります。子どもの教育費は、ハイチでは生活を圧迫する大きな出費です。そして最大の問題は、働きたくとも仕事が無いのです。

他の支援団体の話では、キャンプは明らかに少なくなったといいます。「ここもテントだらけだったんですよ」と指し示されたところは芝生の広場になっていました。「でも、キャンプを離れた人がどこに行ったのかはわかりません。」

「アビエーション・キャンプ」と呼ばれる避難キャンプの側を通ると、ちょうど2年前にCODEの野崎理事が撮ってきた写真と同じ風景が目の前に広がったため、すぐそこだとわかりました。そのままの同じ風景だったからです。テントは減っておらず、敷地を埋め尽くしていました。「キャンプにいれば、食事ももらえるし教育も受けられる。本当は出て行きたくない人も多いんです。」

(岡本 千明)
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