2013年06月11日

【2013年ハイチ訪問レポート No.2】

5月に代表の芹田と事務局長の吉椿がハイチ地震の被災地を訪れました。
CODEは、前回(2012年8月)の訪問時に、被災地レオガンで地元NGO「GEDDH」が計画してきた農業技術学校の建設支援を決定し、調整を進めてきました。今回は着工に向けて、最終の打合せを行ってきました。

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■2013年ハイチ訪問レポート No.2
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ハイチ大地震から3年を経た今も36万もの人が496か所の避難キャンプのテントやトタンなどの粗末な小屋で暮らしている。元々、首都ポルトープランスには仕事を求めて農村部から流入して来た人々がスラムを形成して暮らしているが、地震によってより過酷な状況に追い込まれている。

ハイチの人口約1000万人のうち、首都ポルトープランスには3分の1近い250万から300万人の人が住んでいるというからその密集度は容易に想像できる。ハイチでは国民の80 %が1日2ドル以下の生活をスラムで送っているという。ポルトープランスの南部にそびえる山の斜面にへばりつくように簡素な住宅がひしめき合っているところがスラムだという。また、ハイチの貧困を象徴と言われるスラム「シテ・ソレイユ」は元々、ゴミ捨て場だったそうで、そこに農村部から人々が移り住んで来て、現在は30万人が暮らしているという。周辺には地震後に簡易住宅が建設されているが、依然混沌とした雰囲気だ。

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スラムに住む多くの人々は、路上に物を並べて売る露天商が多いという。野菜、果物などの食料品から服、帽子、草履、炭、雑貨などの日用品までがずらりと並んでいる。しかも暑い中、働いているその多くは女性で、たくましさに満ちあふれている。町を歩く女性の多くは頭に籠やタライのようなものを乗せ、落とさずに器用に歩いている。遠い昔、アフリカから連れて来られた時の習慣が綿々と今に伝わっているのだろう。

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 街中を走る車の車窓から写真を撮っているとボディガードに「トラブルのもとになるから気をつけろ!」と言われ、一瞬ドキッとした。アジア系の顔が珍しいのか、車から外を見ているとよく目が合う。ハイチの人は目が合ってもじっと逸らさない。そんな風に見つめられるとこっちも一瞬目を逸らしそうになるが、恐る恐る手を挙げると「おう!」というような感じで手を挙げ返して、屈託のない満面の笑顔を返してくれる時がある。その笑顔の裏には、独裁政権とクーデター、アメリカの関税引き下げによる農業の崩壊、地震、洪水、ハリケーンなどの自然災害、コレラの大感染などの過酷な歴史を生き抜いてきた強さやたくましさがある。西半球最貧国と言われるハイチの希望は、この人々の何事にも屈しない「たくましさ」にあるような気がする。 
(吉椿雅道)
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2013年01月12日

ハイチ地震から3年

2010年1月12日のハイチ大地震から今日で3年となりました。この震災で23万人以上が亡くなり、150万人以上が家を失ったと言われており、今でも35万人以上がテント生活を送っています。

地震直後、被災地KOBEからの呼びかけで、ラジオ関西を通してメッセージを集めてこれをハイチのラジオ局から発信してもらいました。遠く離れていても心は寄り添っていることを伝え、痛みの共有をしたいとの思いからです。ハイチの困難は震災に始まったわけではありません。以前から深刻な貧困が問題となっていましたが、ハイチという国のことをあまり知らなかった方が多いと思います。私も恥ずかしながらまったくといってよいほど知りませんでした。世界中の地域や日本国内の種々の問題にも言えることですが、苦しみに対する無関心は、当事者にとって一層苦しみを募らせます。メッセージはお腹を満たす役割は果たしませんが、それでも思いを寄せることの大切さを、KOBEの人から教わったように思います。

さて、ハイチのマルテリー大統領が1月1日、次のような発表を行ったことを世界各紙が報じています。大統領は2013年を「環境の年」にすると言います。「自然災害に立ち向かうため、ハイチ人一人ひとりが1本ずつ木を植えてほしい」。彼は特に森林の再生に注目しています。ハイチの森林は国土の2%未満。毎年来るハリケーンですぐに川が溢れ、甚大な被害をもたらしています。雨も多く暑いこの地域は、かつて豊かなみどりに包まれていました。しかし独立後の外国の干渉や独裁政権下で命をつなぐ手立てが尽きたとき、人々は森に資源を求めるほかなかったのです。

首都から40kmほど西にあるレオガン市に「GEDDH」(ジェッド。ハイチの環境保全、改善のために持続して働くグループ)というNGOがあります。GEDDHは2005年から、日本人医師シスター須藤(※注)のもとで植林と炭焼きに取り組み、着実にその実践方法を広めてこられました。いまでは総会に全国から300人以上が集まるほどだそうです。一人が100本の木を植えるよりも100人が一本ずつ植えることが、目指す社会を築く上では大切です。まさに木の枝のように全国のGEDDHのメンバーがそれぞれの地域で活動を広げるとともに、しっかりとそれが根付いていっています。CODEは2012年8月、シスター須藤の紹介でGEDDHとお会いしました。さらにたくさんの人に農業と植林の大切さを伝えたい、とGEDDHが計画していた農業学校の建設をお手伝いさせていただくことになり、そのお話を進めています。

大統領はまた、「ハイチの食糧自給率を70%にする」とも述べています。従来から、ハイチの主要な産業は農業です。植林によって農地を確保し、そこから自分たちの食べるものと雇用が生まれる――長いプロセスかもしれませんが、このように自然とともに生きることがまさにナチュラルなあり方だと思えます。KOBEももうすぐ1.17を迎えますが、ハイチの復興から私たちも学ぶことがたくさんあります。

(※注)シスター須藤:ハイチで1976年から医療活動を行ってこられた日本人医師。医療を行うなかで、人々の暮らしと健康のために農業が欠かせないと考え、自ら炭焼きを学ばれ地元の青年に伝えたことからGEDDHが生まれました。

(岡本千明)

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2012年09月24日

【2012年ハイチ訪問レポートNo.9】


8月、代表の芹田とスタッフの岡本がハイチ地震の被災地を訪れました。
カウンターパートのACSISを通して支援した女性の暮らしを、いくつかのレポートに分けてご紹介していきます。

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■2012年ハイチ訪問レポートNo.9
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*ミルベル・ローズ・セイントアニーさん(軽食販売)の話
広場の一角で、サツマイモを揚げたものやパイの中に卵や野菜を入れて揚げたもの(パティと呼ばれる)、豚肉料理などを売る屋台を営んでいる。サツマイモとパティ1つずつで15グールド(30円)であった。

500ドルを借り、様々な材料の仕入れに使って店を強化した。地震で材料や道具を失ったので、それを埋めることができた。返済も終わり、軌道に乗っている。子どもは4人(10代〜20代くらい)で彼女の店を手伝っている。日に2000〜2500グールド(4000〜5000円)を売り上げる。

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*デセナ・マリー・カルメレさん(露天食堂)の話
「またローンを借りたいのよ。いつやるのよ?」それが彼女の第一声だった。これまでで一番パワフルな方である。デセナさんは初めに250ドルを借り、返済。次に500ドルを借り、これも返済した。彼女の仕事は露天食堂である。壊れた誰かの家の軒先に調理器具を置き、残った骨組みを店として利用している。

豆入りのごはんに、野菜の煮込みと肉を乗せたハイチの定番料理が80グールド(160円)。調理の際、ハイチでは炭を使うことが多い。ジュースは大きなクーラーボックスに氷水を溜め、冷やしてある。忙しく働くデセナさんの横で、娘さんの一人が手伝っている。

彼女には4人の子どもがいるが、夫はいない。教育費がかかるという。「私以外はみんな学校に行ったわ」と笑う。一日1500〜2000グールド(3000〜4000円)を売り上げる。

繁盛しているらしく、私たちがここで昼食を取っている間にも何組かの客が訪れた。外で働く人たちは、こうした食堂で昼食を取ることが多いようだ。「またローンを借りられたら、もっと店を大きくしたいわ」と微笑んだ。

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【2012年ハイチ訪問レポートNo.8】

8月、代表の芹田とスタッフの岡本がハイチ地震の被災地を訪れました。
カウンターパートのACSISを通して支援した女性の暮らしを、いくつかのレポートに分けてご紹介していきます。

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■2012年ハイチ訪問レポートNo.8
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*エバルス・マージョリーさん(日用品売り)
13歳の娘と夫の3人暮らし。夫婦そろって話に応じてくれた。見たところ、震災前から住んでいるという家は小奇麗である。震災で家にひびが入ったりはしたが、自力で直せる程度であった。

はじめに250ドルを借り、ドミニカとの国境の町マルパスで日用品を仕入れ、それを掛売りするという商売を始めた。この商売は近隣の女性何名かも行っており、比較的ポピュラーなようである。一人でトラックを借りるわけではなく、何人か集まれば業者がトラックを出し、乗合で走る。マルパスから積んでくる荷物の量に応じて対価を支払う仕組みだという。この商売がうまくいき、返済ができた上に貯蓄もできるようになった。

次に750ドルを借りて、35000グールド(約7万円)でオートバイを買った。このオートバイを夫が運転して、ハイチでよく見かける「バイクタクシー」業を開始。2人まで乗せることができ、客の希望でどこにでも行く。たとえばここリゾンからポルトープランスのデルマ地区まで(1時間弱)は250グールド(約500円)で走る。

この750ドルの返済も順調に完了し、新たに1000ドルを借りた。これまでの商売で築いた貯蓄と合わせて中古の大型自動車を6500ドルで購入。タプタプと呼ばれる乗合タクシーを経営している。自分が運転するのではなく、運転手に自動車を貸し、売り上げから一定の額をもらうという形である。商売が成功し、生活も安定した。

これほど大きな商売を行うのは初めてである。うまくいった理由は、「真剣に取り組んだからだよ」と自信ありげにバイクを見せてくれた。旦那さんはこれから果物を別の場所に届ける仕事があるらしく、大きな袋を後ろに乗せて走っていった。
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2010年11月15日

ハイチ地震レポートNo.52


CODEボランティアのKさんが、UNOCHAのウェブサイト「Reliefweb」から
ハイチに関する記事を翻訳して下さいましたのでご紹介します。

様々なメディアで報じられていますが、今年1月に大地震が起きた
ハイチの被災地では、10月からコレラが流行しています。
ハイチ政府によると、11月12日時点で917人が亡くなり、
1万4600人以上が入院したとのことです(ロイター、11月14日)。

下記の記事によれば、11月第一週に到来した
ハリケーン・トーマスによって洪水が起こった所では、
これが感染を広げるのではないかという懸念もあるようです。

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ハイチにおける水の恐怖
情報源:International Medical Corps(IMC)
日付:2010/11/8

Crystal Wells広報官より
レオガン、ハイチ−Thelervilts(人名)は質素ではあるが快適な家を海辺に持っていた。1月12日にマグニチュード7.0の地震がおきて彼の家はコンクリートの骨組みと鉄筋だけに破壊されてしまった。彼は廃材を集めて新しい店を一から建て直し、防水シートと木で家を修理した。

9ヶ月経った今、彼の壊れた家はまたもや破壊されてしまった。今回は11月5日と6日に島を打ち
のめしたハリケーン・トーマスのもたらした洪水によってだった。今では泥が家の床を覆い、ギザギザになった踏み石だけが濁った水のなかで彼の家への道を点々と指していた。

彼は角にある泥のついたいくつもの土嚢を指し示して言った。「私は家を守ろうとしたが、水が土嚢を流してしまった。」・・・続きを読む(CODE World Voiceへ)
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