2013年06月06日

【2013年ハイチ訪問レポート No.1】

5月に代表の芹田と事務局長の吉椿がハイチ地震の被災地を訪れました。
CODEは前回(2012年8月)の訪問時に、被災地レオガンで地元NGO「GEDDH」が計画してきた農業技術学校の建設支援を決定し、調整を進めてきました。今回は着工に向けて、最終の打合せを行ってきました。
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■2013年ハイチ訪問レポートNo.1
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2010年1月12日、西半球で最も貧しい国と言われるハイチ共和国を襲ったM7.0 の地震は約22万人の人々の命を奪い去り、同年10月には洪水によるコレラ感染が拡大し、2013年3月24日までに全土で8053人(UNOCHA調べ)がその犠牲となった。また、ハイチはハリケーンの常襲地帯でもあり、毎年のように被害が出ている。

ハイチ大地震から約3年5か月。ハイチの首都であるポルトープランス空港に着陸する直前、空から見下ろしたハイチの大地は赤茶けた土肌がむき出しになっていた。話には聞いていたが、本当に山には森林がほとんどなかった。ハイチの森林被覆率は、わずか1,25%という。2005年までの15年間だけでも11000ヘクタールの広大な森林が失われた。ハイチという言葉は、先住民の言葉(アラワク語)で、山多き土地という意味だそうだ。昔は、その名の通り国土が森に覆われ、ヨーロッパ人の入植前の1500年頃は国土の75%が森林だったという。フランス植民地時代の大規模プランテーションのために、そして独立後は、98%の森林は燃料用の木炭を得るために伐採されてきた。1993年の国連の経済封鎖よって燃料輸入が止まった事が伐採に拍車をかけた。木炭は、ハイチでの燃料需要の75%以上を占めるというほどだ。

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ハリケーンでなくても、この時期、午後には必ずスコールのような大粒の激しい雨が降る。森林がなく保水力を失った山に降り注いだ雨は、土壌に浸透することなく一気に川へと流れ込み、川沿いの農村の田畑を侵食し、農地が減少していっている。

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そんな状況を見かねたシスター須藤昭子さん(37年間ハイチに滞在し、結核などの医療活動に従事してきた86歳の日本人医師)は、地元のグループとNGO「GEDDH」を立ち上げ、植林、農業、炭焼きなどの活動を行っている。シスター須藤は、「せっかく病気が治っても食べられなければ意味がない。」と農業の必要性を語る。

1804年の独立前は、ハイチは「カリブ海の真珠」と呼ばれるほど沢山の農産物を輸出していたという。CODEは、そんなハイチの農業と森林の再生を目指したGEDDHの活動を若い世代に伝えるべくレオガン農業技術学校(ETAL)の建設支援を行う。ハイチの未来を担う若者の思いを乗せて、まもなく学校の建設が始まる。
(吉椿雅道)
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2013年01月12日

ハイチ地震から3年

2010年1月12日のハイチ大地震から今日で3年となりました。この震災で23万人以上が亡くなり、150万人以上が家を失ったと言われており、今でも35万人以上がテント生活を送っています。

地震直後、被災地KOBEからの呼びかけで、ラジオ関西を通してメッセージを集めてこれをハイチのラジオ局から発信してもらいました。遠く離れていても心は寄り添っていることを伝え、痛みの共有をしたいとの思いからです。ハイチの困難は震災に始まったわけではありません。以前から深刻な貧困が問題となっていましたが、ハイチという国のことをあまり知らなかった方が多いと思います。私も恥ずかしながらまったくといってよいほど知りませんでした。世界中の地域や日本国内の種々の問題にも言えることですが、苦しみに対する無関心は、当事者にとって一層苦しみを募らせます。メッセージはお腹を満たす役割は果たしませんが、それでも思いを寄せることの大切さを、KOBEの人から教わったように思います。

さて、ハイチのマルテリー大統領が1月1日、次のような発表を行ったことを世界各紙が報じています。大統領は2013年を「環境の年」にすると言います。「自然災害に立ち向かうため、ハイチ人一人ひとりが1本ずつ木を植えてほしい」。彼は特に森林の再生に注目しています。ハイチの森林は国土の2%未満。毎年来るハリケーンですぐに川が溢れ、甚大な被害をもたらしています。雨も多く暑いこの地域は、かつて豊かなみどりに包まれていました。しかし独立後の外国の干渉や独裁政権下で命をつなぐ手立てが尽きたとき、人々は森に資源を求めるほかなかったのです。

首都から40kmほど西にあるレオガン市に「GEDDH」(ジェッド。ハイチの環境保全、改善のために持続して働くグループ)というNGOがあります。GEDDHは2005年から、日本人医師シスター須藤(※注)のもとで植林と炭焼きに取り組み、着実にその実践方法を広めてこられました。いまでは総会に全国から300人以上が集まるほどだそうです。一人が100本の木を植えるよりも100人が一本ずつ植えることが、目指す社会を築く上では大切です。まさに木の枝のように全国のGEDDHのメンバーがそれぞれの地域で活動を広げるとともに、しっかりとそれが根付いていっています。CODEは2012年8月、シスター須藤の紹介でGEDDHとお会いしました。さらにたくさんの人に農業と植林の大切さを伝えたい、とGEDDHが計画していた農業学校の建設をお手伝いさせていただくことになり、そのお話を進めています。

大統領はまた、「ハイチの食糧自給率を70%にする」とも述べています。従来から、ハイチの主要な産業は農業です。植林によって農地を確保し、そこから自分たちの食べるものと雇用が生まれる――長いプロセスかもしれませんが、このように自然とともに生きることがまさにナチュラルなあり方だと思えます。KOBEももうすぐ1.17を迎えますが、ハイチの復興から私たちも学ぶことがたくさんあります。

(※注)シスター須藤:ハイチで1976年から医療活動を行ってこられた日本人医師。医療を行うなかで、人々の暮らしと健康のために農業が欠かせないと考え、自ら炭焼きを学ばれ地元の青年に伝えたことからGEDDHが生まれました。

(岡本千明)

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2012年09月24日

【2012年ハイチ訪問レポートNo.9】


8月、代表の芹田とスタッフの岡本がハイチ地震の被災地を訪れました。
カウンターパートのACSISを通して支援した女性の暮らしを、いくつかのレポートに分けてご紹介していきます。

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■2012年ハイチ訪問レポートNo.9
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*ミルベル・ローズ・セイントアニーさん(軽食販売)の話
広場の一角で、サツマイモを揚げたものやパイの中に卵や野菜を入れて揚げたもの(パティと呼ばれる)、豚肉料理などを売る屋台を営んでいる。サツマイモとパティ1つずつで15グールド(30円)であった。

500ドルを借り、様々な材料の仕入れに使って店を強化した。地震で材料や道具を失ったので、それを埋めることができた。返済も終わり、軌道に乗っている。子どもは4人(10代〜20代くらい)で彼女の店を手伝っている。日に2000〜2500グールド(4000〜5000円)を売り上げる。

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*デセナ・マリー・カルメレさん(露天食堂)の話
「またローンを借りたいのよ。いつやるのよ?」それが彼女の第一声だった。これまでで一番パワフルな方である。デセナさんは初めに250ドルを借り、返済。次に500ドルを借り、これも返済した。彼女の仕事は露天食堂である。壊れた誰かの家の軒先に調理器具を置き、残った骨組みを店として利用している。

豆入りのごはんに、野菜の煮込みと肉を乗せたハイチの定番料理が80グールド(160円)。調理の際、ハイチでは炭を使うことが多い。ジュースは大きなクーラーボックスに氷水を溜め、冷やしてある。忙しく働くデセナさんの横で、娘さんの一人が手伝っている。

彼女には4人の子どもがいるが、夫はいない。教育費がかかるという。「私以外はみんな学校に行ったわ」と笑う。一日1500〜2000グールド(3000〜4000円)を売り上げる。

繁盛しているらしく、私たちがここで昼食を取っている間にも何組かの客が訪れた。外で働く人たちは、こうした食堂で昼食を取ることが多いようだ。「またローンを借りられたら、もっと店を大きくしたいわ」と微笑んだ。

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【2012年ハイチ訪問レポートNo.8】

8月、代表の芹田とスタッフの岡本がハイチ地震の被災地を訪れました。
カウンターパートのACSISを通して支援した女性の暮らしを、いくつかのレポートに分けてご紹介していきます。

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■2012年ハイチ訪問レポートNo.8
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*エバルス・マージョリーさん(日用品売り)
13歳の娘と夫の3人暮らし。夫婦そろって話に応じてくれた。見たところ、震災前から住んでいるという家は小奇麗である。震災で家にひびが入ったりはしたが、自力で直せる程度であった。

はじめに250ドルを借り、ドミニカとの国境の町マルパスで日用品を仕入れ、それを掛売りするという商売を始めた。この商売は近隣の女性何名かも行っており、比較的ポピュラーなようである。一人でトラックを借りるわけではなく、何人か集まれば業者がトラックを出し、乗合で走る。マルパスから積んでくる荷物の量に応じて対価を支払う仕組みだという。この商売がうまくいき、返済ができた上に貯蓄もできるようになった。

次に750ドルを借りて、35000グールド(約7万円)でオートバイを買った。このオートバイを夫が運転して、ハイチでよく見かける「バイクタクシー」業を開始。2人まで乗せることができ、客の希望でどこにでも行く。たとえばここリゾンからポルトープランスのデルマ地区まで(1時間弱)は250グールド(約500円)で走る。

この750ドルの返済も順調に完了し、新たに1000ドルを借りた。これまでの商売で築いた貯蓄と合わせて中古の大型自動車を6500ドルで購入。タプタプと呼ばれる乗合タクシーを経営している。自分が運転するのではなく、運転手に自動車を貸し、売り上げから一定の額をもらうという形である。商売が成功し、生活も安定した。

これほど大きな商売を行うのは初めてである。うまくいった理由は、「真剣に取り組んだからだよ」と自信ありげにバイクを見せてくれた。旦那さんはこれから果物を別の場所に届ける仕事があるらしく、大きな袋を後ろに乗せて走っていった。
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【2012年ハイチ訪問レポートNo.7】

8月、代表の芹田とスタッフの岡本がハイチ地震の被災地を訪れました。
カウンターパートのACSISを通して支援した女性の暮らしを、いくつかのレポートに分けてご紹介していきます。

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■2012年ハイチ訪問レポートNo.7
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*ベルフォート・アンナさん(日用品販売)の話
今回お会いした女性の中で、ひときわ厳しい状況に置かれた方であった。
住宅地のなかに、突然開けた場所が現れる。地震で壊れた住居の骨組みが残ったところに、テント、ブルーシートなどで小屋をつくり3世帯ほどが暮らしている。ベルフォートさんは5人家族。娘3人と、1歳になるかならないかの孫である。テントの側には井戸があり、別の女性が水を汲み上げ洗濯の真っ最中であった。水は十分にありそうだったが、雨の少ない季節には干上がることもあるという。

ベルフォートさんは200ドルを借りて商売を始めたが、その後、困難な状況に陥ってしまった。当初、ドミニカとの国境の町マルパスに行き、様々な物資を仕入れて地元で掛売りをしていたが、病気になり続けられなくなってしまったのである。高血圧と呼吸器系の病気だという。話をする表情にも笑顔は無い。娘さんも働いていないとのことだった。「昨日ごはんは食べられましたか?」と聞いてみたが、愚問を鼻で笑うようにうつむき「ノン」と答えた。

テントの中を見せてもらうと、5人が寝るためのベッドとちょっとした棚でいっぱいである。電気を引いているようでテレビと携帯電話があった。昼時だったが食器類は片付けられたままで、野菜のかけらがテーブルに転がっていた。隣の小屋の女性が外でスープのようなものを炊いていたが、ここに住む10数人がシェアできる量ではなさそうだった。ここには、ベルフォートさんの孫のほかに乳児がもう二人、それに2〜3歳くらいの男の子2人と5歳くらいの女の子がいた。ここにいる人たちどうしの支えあいや、近所とのかかわりなどを頼りに、何とか生活をつないでいるようであった。

彼女たちの状況は、街なかの活気ある露天商たちとはまた違う。家はなく、健康上の理由や子どもがいるといった理由で働ける状態にも無い。自力で生活を維持することが困難でも、最低限の保障も無い。最も貧しい人たちの厳しい現実をつきつけられた。ACSISとは引き続き、随時こうした人たちを見守っていただけるようにコンタクトを続けていきたい。
(岡本 千明)
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