2012年09月20日

【2012年ハイチ訪問レポートNo.6】

8月、代表の芹田とスタッフの岡本がハイチ地震の被災地を訪れました。
支援地の人々の声を、いくつかのレポートに分けてご紹介していきます。

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■2012年ハイチ訪問レポートNo.6
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*ゲリー・ディウリンさん(軽食販売)の話
夫と4歳の息子と暮らす自宅の近く、住宅地の細い路地の一角で、パンとオムレツを売っている。幅2m、奥行き1mほどの小屋である。近くにある学校の子どもたちが主なお客さんだと言うが、「いま学校が休みだからねえ」と、店先で横になって昼寝していた。学校があれば、ひとつ25グールド(50円)で日に30〜40個を売り上げる。250ドルを借りて材料費などに当て、すべて返済した。私たちの訪問で起こされたからか少し気だるそうに、「店の調子はまあまあね。また借りられるならもっと仕入れたいけど」と言いながら、彼女に甘えてまとわりついてくる息子をあやしていた。売れ行きはまずまずのようだった。

「こういうローンが無いとき、お金を借りるような仕組みはあるの?」と聞くと、近隣で互助組合があることを聞いた。グループをつくり、その各メンバーから毎月少しずつお金を集め、その中の一人に順番に集まったお金を渡していくという、いわゆる回転型貯蓄信用講である。その月にお金がもらえた人にとっては、ボーナスが入ったようなものである。これを商売の開店資金にする人もいるだろうし、冠婚葬祭や子どもの学費に当てる人もいるだろう。しかし、当然であるが、毎月の拠出金が工面できない人は参加することができない。彼女も参加経験があるが、いまはやっていない。近くに住む別の女性にも聞いたが、拠出金が払えないからやっていないという答えだった。

また、小規模金融の例として、私的な業者が人々に5人組などのグループを作らせてお金を貸す消費者金融のようなものもあるという。しかし、健康状態の悪化などで生活の危機が往々にして起こりうるハイチでは、「連帯責任」よほどの信頼関係が無い限り敬遠されている。当初、ACSISのローンでもグループ形成の案があったが、住民はこうした事情からグループ制には反対したという。コミュニティには様々な互助機能があるが、日本で私たちも経験しているように、都市ではその役割が希薄になりつつあるようだった。

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(岡本 千明)
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2012年09月18日

【2012年ハイチ訪問レポート No.5】


8月、代表の芹田とスタッフの岡本がハイチ地震の被災地を訪れました。
支援地の人々の声を、いくつかのレポートに分けてご紹介していきます。
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■2012年ハイチ訪問レポートNo.5
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*マリー・アンジェ・ドゥソウさん(日用品売り)の話
この一帯はカナアンと呼ばれ、なだらかな山の麓にある。聖書にあるカナアンからとられたのだろうかと聞くと、ガードマンのウィルフリーさんはそうだと言った。山と言っても樹木はほとんどない。ハイチはもともと緑豊かな国であったが、圧制下の貧困を生き延びるため、人々は燃料や建材になる木を売るしかなかった。結果、山肌が見えるまでに荒れた土地はもはや保水力を失い、豪雨があるとたやすく崩れてしまう。

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マリー・アンジェさんはこの地で、支援団体によって建てられた家に夫と妹と3人で住んでいる。広さは6畳一間ほどであり、奥にベッドを置き、手前は食事などのスペースにしている。壁と柱は木造、屋根はトタンである。雨に備えてだろう、30cmほどの高床にしてある。仕切られている敷地は広いが、水道は無く、したがってトイレ・風呂は無い。1ガロン(約3.8リットル)1グールド(2円)で業者から水を買って暮らしている。

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カナアンにはもともと人は住んでおらず、何もない荒れ地だった。しかし、地震後に政府がキャンプからの立ち退きを推奨し、人々はこの地を開拓した。地面をならし、家を建てた。政府はこれを黙認した。ガイドのルシアンは、「地盤も、インフラの面でも、人の住めるような場所じゃないよ」という。他の集落からも遠く離れ、町としての機能を持たない寂しい土地だ。「乳と蜜の流れる地」と描写される「カナアン」とは皮肉な名前である。

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山から取れる白く乾いた土が建築用ブロックの材料となるらしく、それを集めた小さな工場がところどころにある。それを除けば家とキオスクのような小屋だけが点在し、コミュニティと呼ぶにはあまりに閑散としている。マリー・アンジェさんによると、「近所の人とのかかわりはほとんどありません」。近所で子供たちがサッカーをすることがあるというので、まったく近隣の交流が無いわけではないが、暮らしを助けあったり悩みを話しあったりするような関係ではない。バプテスト系の支援団体が建てた教会――と書かれた小屋――が彼女の家の隣にあるが、それも寄り合いの場になることは無いのであろうか。

ガイドのルシアンが言うには、ハイチでも田舎に行くと、長年そこに住んでいる人たちのコミュニティがあり、そこでは結束のもとに暮らしが成り立っている。しかし、ポルトープランスのような都市に地方からやって来た人たちの集まるところでは、そのようなつながりの意識が無いことが多い。人々は、自分がその日生きるのに精一杯なのだという。

マリー・アンジェさんの場合、病気が暮らしの再建を阻んでいる。彼女は最初の融資200ドルで洗剤などの日用品の販売を行った。それはうまく行き、ローンを返済することができた。しかし、ふたたび200ドルの融資を受けて商売を行っていたところ、体調を崩し商売を辞めてしまった。消化管の病気で出血したという。「これから先のことはわかりません。体調はましになったけど、もう医療費は払えません。夫は不定期の日雇いで、安定した収入はありません。」

ここが仮暮らしとなるのか、あるいはここに根を下ろさざるを得ないのか、人々は見通しを持てず、その日を生きることにただ力を尽くしている。
(岡本 千明)

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2012年09月13日

【2012年ハイチ訪問レポート No.4】

8月、代表の芹田とスタッフの岡本がハイチ地震の被災地を訪れました。
支援地の人々の声を、いくつかのレポートに分けてご紹介していきます。

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■2012年ハイチ訪問レポートNo.4
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*マキュレーさん(洋服売り)の話
マキュレーさんは、大きな道路の脇に台を設けて洋服を販売している。ここは住宅地というよりは、郊外を走る車用の道であり、街中と違って他に露店もほとんどない。こんなところで服が売れるのだろうかと思うが、「順調ですよ」と話す。

マキュレーさんは地震以前、ここから少し離れたリゾンという地域で比較的大きな店を経営していた。しかし地震で家と店が壊れ、この地に移ってきた。ACSISから借りた約275ドルは露店の仕入れなどに使った。売り上げは好調で、ルールどおり6ヶ月かけてすべて返済することができた。卸店で100〜200枚のストックをまとめ
て買い(5000〜7500グールド)、それを小売している。昨日の売り上げは24枚。1枚あたり約約100グールド(約200円)である。日によって売り上げは異なるが、今日は、このとき11時の時点で5枚の売り上げである。これで二人の子どもを養っている。

ちなみに、事前に聞いてはいたのだが、ハイチの人はおしゃれだ。女性は、鮮やかな色のシャツやワンピースがよく似合っている。黒でクールに決めている人もいる。袖や襟の形、フリルやストラップなどの装飾も様々である。男性はカジュアルなポロシャツやスポーツ風のTシャツなどが人気のようだ。こうしたおしゃれ好きな人たちが、通りすがりに服を買っていくのだろうか。

マキュレーさんはこう話した「ローンはとても役に立ちました。もしまた機会があれば、仕入れに使って店を大きくしたいです。」

(岡本 千明)
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2012年09月06日

【2012年ハイチ訪問レポート No.3】

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■2012年ハイチ訪問レポートNo.3
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「ハイチで生きるのは高くつくんだ」とガイドのルシアンは言います。

収入と支出が見合わないのです。収入源が無いこと、そして収入が無いときのセイフティネットが無いことが、人々の暮らしを不安定にしています。地震で生活の基盤を失った人たちが「自立」していくためには、雇用と社会保障が必要です。

ハイチにおける雇用とは何でしょうか。それは、自営業(セルフ・エンプロイメント)です。認可を受けた店や企業などに雇われて働いているいわゆる正規の「従業員」は少なく、自ら道路わきの露店でものを売ったり、乗り合いタクシーを走らせたり、靴を磨いたりと、スモール・ビジネスで稼ぎを得ている人がほとんどです。これらは、大きな店舗や企業などのフォーマルな経済に対して、登録したり、営業許可があるわけではないインフォーマル経済と呼ばれています。インフォーマルではありますが、これがある意味ここの主流であり、人々の生活を支える重要な経済です。

CODEがカウンターパートのACSISを通して支援したのは、こうした自営業の女性たちの開店資金です。40人の女性を対象に150ドルから500ドルを融資し、2%の利子で6ヵ月後に返済します。この数字は、地元の現状を反映してACSISが設定したものです。

ACSISは女性たちを対象に説明会を開いて条件を理解してもらい、各人の希望額と商売の計画、家族の状況などをヒアリングした上で2011年2月に最初の融資を行いました。セミナーも開いて商売のポイントを勉強しました。半年から1年後、融資によって商売が軌道に乗り、その後融資を返済できた人もいれば、融資は返済したが商売は辞めてしまったり、あるいは商売が続かず融資も返済できなかったという人もいます。初回の回収額は7割程度でした。

失敗した人は、事業自体の不振というよりは、病気で辞めざるをえなかったり、家で他に大きな出費があって元手を失い、その後仕入れができなくなってしまったといったケースが多いようです。ぎりぎりの生活では、ひとたび危機が起こるとより困難な状況に転落してしまい、そこから立ち上がることができなくなってしまいます。そんなとき、本来であれば生活保護のような形で暮らしが保障されなければなりませんが、ハイチの人たちはその基本的な権利を守られているとは言えません。

今回、融資を利用した何人かの女性から話を聞くことができましたので、彼女たちの現状を紹介していきたいと思います。

(岡本 千明)
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【2012年ハイチ訪問レポート No.2】

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■2012年ハイチ訪問レポートNo.2
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ハイチの物価は決して安くありません。露店のペットボトルのジュースは1本25グールド(50円)。屋台で昼食を食べれば一人100グールド(200円)、町の食堂に入れば200グールド(400円)。洗濯用にと思って露店で買ったバケツは1つ100グールド(200円)でした。路上で売っている音楽CDは――明らかにCD-ROMにコピーしただけのものですが――1枚100グールド(200円)です。40歳くらいの「ヒラ」の公務員の給与が月500ドルだそうですから、物価の高さがうかがえます。ちなみに富裕層しか利用できないような冷房の効いた大型スーパーマーケットに行けば、クッキー1パックが80グールド(160円)、500mlの水1ダースで170グールド(340円)です。最も貧しい人はどうやって生きているのか?混乱しますが、ハイチには、幾通りかの物価の世界があるようでした。震災後、外国からの援助流入による影響もあり、物価は安定しないようです。

一方、IOMが避難キャンプからの立ち退き支援費用(家賃補助)として1世帯に渡しているのは500ドル。これは、つつましく食べていくだけなら1年間はもつ額だといいます。しかし、生活とは食べていくだけのことではありません。栄養状態が悪いため、病気にかかりやすく医療費がかかります。子どもの教育費は、ハイチでは生活を圧迫する大きな出費です。そして最大の問題は、働きたくとも仕事が無いのです。

他の支援団体の話では、キャンプは明らかに少なくなったといいます。「ここもテントだらけだったんですよ」と指し示されたところは芝生の広場になっていました。「でも、キャンプを離れた人がどこに行ったのかはわかりません。」

「アビエーション・キャンプ」と呼ばれる避難キャンプの側を通ると、ちょうど2年前にCODEの野崎理事が撮ってきた写真と同じ風景が目の前に広がったため、すぐそこだとわかりました。そのままの同じ風景だったからです。テントは減っておらず、敷地を埋め尽くしていました。「キャンプにいれば、食事ももらえるし教育も受けられる。本当は出て行きたくない人も多いんです。」

(岡本 千明)
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